通勤電車に乗らない生活

私は、通勤電車という地獄から抜け出して、幸せになった。

今の幸せな私

私は、2017年1月から通勤電車に乗らない生活を選んだ。今、幸せに生きている。

通勤電車に乗っていた頃は、不幸だったと思う。毎日、疲れていた。電車の中では物理的にギュウギュウと圧迫され、暑くて痛かった。睡眠時間を削っていたので眠かった。

今の私には、それらの苦しみがない。日々の疲れもなく、痛みも感じず、自由な時間と仕事を楽しんでいる。

私がこれまで通勤電車で通勤してきた期間は、16年間。だいたい7000時間くらいを、通勤時間として使い、無駄にしてきたことになる。

通勤電車を回避した手段

通勤電車を回避する手段はいくつかあるが、私は、会社の近くに単身赴任の形で住むことを選んだ。

私が勤める会社は西新宿にある。その近くに住めば、通勤電車に乗らずに済む。色々と調べた結果、新宿区の隣、中野区に安いシェアハウスを見つけた。1つの部屋に2つの2段ベットが置かれた相部屋で、月額4万7000円だった。

私は副業を持っている。その副業に時間を使いたかったので、シェアハウスには寝に帰るだけだ。通勤時間を短縮するためのコストとしては安く思えたので、そこに住んだ。

家族と離れることへの罪悪感はあった。しかし、決断した。

通勤電車の苦しみ

通勤電車の苦しみについて書いておく。

立ち続ける苦しみ

通勤電車では、立ち続けなければならないから苦しい。

通勤電車は、人がギュウギュウ詰めだ。全く座れない。ずっと、立っていなければならない。私の場合、通勤時間は片道1時間半だった。とても疲れる。

1時間半、立ち続ける。これは疲れることだ。だから苦しい。

電車の揺れに耐える苦しみ

通勤電車では、揺れに耐えなければならないから苦しい。

電車は揺れる。電車が揺れたとき、倒れないように、足に力を入れて耐えなければならない。しかも、電車はギュウギュウだから、足の置き場を選ぶこともできない。不安定な体勢のまま、足に目一杯の力を入れて、電車の揺れに耐える。

全力を使って、倒れないように耐える。これは疲れることだ。だから苦しい。

心が疲れる苦しみ

通勤電車は、心が疲れるから苦しい。

通勤電車の中でうっかりとバランスを崩すと、横にいる人を押してしまう。その人が怒りっぽい人だと、舌打ちをされたり、面と向かって文句を言われたりする。バランスを崩してしまうのを100%の確率で回避することは不可能だ。それなのにそのような反応をされる。理不尽に感じる。

もちろん、その嫌な反応をする人も、この通勤電車が嫌なのだろう。その人だって、苦しいからそのような反応をするのだ。電車に乗っている全員が、理不尽な扱いを受けている。

理不尽な扱いを受けるので、心が疲れる。だから苦しい。

また、私自身も、揺れで押してきた人をにらみつけたことがある。自分の心も、少しづつ悪い方向へ変化し続けているように感じていた。

痛い

通勤電車は、痛い。

電車の中で椅子脇の棒のそばに立ってしまうと、他の乗客から強く圧迫され、体を押し付けられる。金属製の棒に、継続的にギュッギュッと押し付けられる。だから、痛い。骨が折れるのではないかと不安なほどだ。

通勤電車では、硬いものに体を押し付けられるので、痛い。

眠い

通勤電車は、眠い。

通勤電車に乗るということは、乗っている時間を自分の時間から削り取られてしまうということだ。私の場合は片道1時間半だから、往復で3時間が消滅していることになる。

私にも、色々なやりたいことがある。それらをやるために、時間が足りない。だから、睡眠時間を削りがちになる。

通勤電車に乗る生活を送っていると、睡眠時間を削ってしまうので、眠い。眠いのに、1時間半立ち続けなければならない。辛い。

私は、これらの理由で、通勤電車が嫌だった。

通勤電車を有意義に過ごすことの失敗

通勤電車に乗っている時間を有意義にすることも試みた。

例えば、本を読むこと。しかし、すぐ挫折した。通勤電車はギュウギュウに人が詰められているので、バッグに入っている本を出すことができない。かといって、あらかじめ電車に乗る前に本を出しておいても、ギュウギュウなので、本を読める位置に持ってくることは難しい。また、本を目の前に持ってくるということは、ギュウギュウの車内で手を胸の辺りに上げてくる必要がある。それは、隣に立っている人にとっては迷惑なことだ。だから、やりたくない。

スマホをいじってニュースを読むこともあった。しかし、疲労困憊して、なおかつ眠い状況で、スマホを開いて文章を読む元気のあることは少なかった。また、スマホを開いたとしても、ビジネス書や文学作品などを読むことはまれで、せいぜい2chまとめサイトやtwitterを読むくらいだった。文芸書や技術書などの、頭を使う難しいものは読む気になれなかった。

通勤電車の中では本を読んでいます、と主張する人は多い。私は、その主張を聞くたび、ウソなんじゃないかな、と思う。実際の電車内を見ると、本を読んでいる人を見かけることは少ない。毎日の通勤時間をきちんと毎日有意義に過ごせている人は、ほとんどいないように思う。

また、そもそも私は常に寝不足で、本を読む余裕などなかった。ギュウギュウで身動きの取れない電車の中で、立ったまま目をつぶっていることが多かった。

私について

私について、簡単に書いておこうと思う。

家族構成

私は、既婚の41歳男性だ。子どもは二人。上の子は25歳、下の子は14歳。私の年齢と上の子の年齢は16歳しか離れていないが、これは妻の連れ子だったからだ。仲良く暮らし、今は既に就職して一人暮らしをしている。

私が家を出る直前は、妻と息子と私、3人で暮らしていた。私は、通勤電車に乗らない生活を実現するため、家族と離れて、会社の近くに住むことにした。

会社の仕事

私はシステムエンジニアをしている。普通の会社員だ。私の仕事は会計系システムの運用で、三ヶ月ごとに業務ピークが来る。そのたびに、月あたりの残業は80時間程度になった。休日出勤も、1回のピークあたりに4~5回。年間だと16~20回程度していることになる。

ただ、基本的にはホワイト企業だ。ピーク性は高いが、休日出勤の振替休日は必ず取れるし、業務ピーク以外の月は、残業は月に10時間もない。サービス残業も一切ない。

通勤ルート

私の通勤ルートは、東武スカイツリーライン獨協大学前駅から、日比谷線仲御徒町駅で大江戸線に乗り換え、都庁前駅で降りるというルートだった。通勤時間は一時間半。スカイツリーラインと日比谷線は、ひどく混んでいた。大江戸線は通勤時間帯の割にはすいていたが、座れるほどではない。やはり、辛かった。

なぜ通勤電車から逃れたかったか

私は、どうしても通勤電車が嫌だった。通勤電車から逃れた目的を、書いておこうと思う。

苦しみからの開放

上で書いた通り、通勤電車は、立ち続けるのが辛いし、電車の揺れに耐えるのも辛いし、心も疲れるし、体も痛いし、眠い。悪いことばかりだ。それらから、開放されたかった。

副業への時間の投入

私は副業をしていて、それに使う時間を捻出したかった。

副業、といっても、儲かっていない。去年は赤字だった。もともとボランティアとして始めた仕事だ。開始してしばらくして、いくつかの会社がお金を出してくれるようになった。だが、まだ赤字だ。赤字のまま、私は自分の名誉欲を満たすためにこの副業をしている。

私は、その副業の仕事をもっとやりたかった。だから時間が欲しかった。

良くなったこと

通勤電車に乗らなくなって、色々なことが好転した。

通勤電車の苦しみが消えた

通勤電車に乗らなくなったので、通勤電車で発生する苦しみが消えた。前述で列挙した苦しみが消えたということだ。繰り返しになるが、下記の通りだ。

  • 立ち続ける苦しみ
  • 電車の揺れに耐える苦しみ
  • 心が疲れる苦しみ
  • 身体的な痛み
  • 眠さ

これらの苦しみがなくなった。

副業の成功

通勤電車の苦しみがなくなっただけではなく、他にもさまざまなことが好転した。

まず、副業の成功。投入する時間が増えたからか、お客さんが増えた。今年は黒字で確定申告することになりそうだ。

お金が増えるのは嬉しい。赤字のままでも名誉欲を満たしていたとはいえ、やはり、お金は嬉しい。また、利益が出なければ事業を続けることは難しい。黒字化によって、事業継続性を担保し、お客さんの困りごとを解決し続けることができる見通しがついた。

創作意欲の消化

私は、副業と呼んでいる事業の他にも、いくつかの活動をしている。ものすごく大雑把に言うと、ブロガーみたいなものだ。これまで時間がなくて、書きたいと思っていたものを書けずにいた。通勤時間が消滅したことにより、たくさんの時間ができて、書きたいものを全て書けるようになった。

友人と会えるようになった

友人と会えるようになった。私の友人は、東京の人が多かった。だから、会うとしたら、東京で会うことになる。しかし、平日夜に会社が終わった後、東京で友人と会って酒を飲んで自宅に帰ると、夜の0時か1時になってしまう。翌日は朝7時には家を出なければならない。

睡眠時間を削らなければならないから、せっかく友人ができても、疎遠になってしまうことが多かった。今は、それがない。

オンラインサロンに入会できた

最近、オンラインサロンというものが流行っている。私は、それに入会した。

オンラインサロンにはさまざまな属性の人が入会している。サラリーマン生活だけでは、絶対に出会うことがなかった人たちだ。全く違う職種や生活スタイルの人たちと知り合える。それは楽しいことだ。

オンラインサロンも、時間がなければ十分に楽しむことができない。通勤時間が消滅したからこそできたことだ。

シェアハウスの生活を楽しんだ

シェアハウスの生活を楽しむことができた。

シェアハウスには、さまざまな人がいた。特に、外国人の人が多い。私が住んでいるシェアハウスでは、入居者20人中、半数以上が外国人だ。それらの人と、たまにパーティーしたりして交流する。それが楽しい。

本業の仕事が楽しくなった

通勤電車に乗らなくなった途端、本業の仕事が楽しくなった。

私はそれまで、本業の仕事が嫌いだと思っていた。会社に行くのが嫌だった。

しかし、通勤電車に乗らなくなり、通勤時間が大幅に減ると、会社に行くのが嫌ではなくなった。仕事が楽しくなった。

それまで、私は会社の仕事が嫌いなのだと思っていた。しかし違った。私が嫌いだったのは通勤電車であって、仕事そのものではなかったのだ。

痩せた

通勤電車に乗らなくなったら、10kg痩せた。

それまで、私の体重は95kgくらいだった。それが85kgくらいになった。まだ太っているとはいえ、まったく苦もなく痩せた。

“偽りの食欲”という言葉がある。疲れていたり、睡眠不足だったりすると、腹が減っていなくても食欲が湧き出てきてしまうそうだ。通勤電車で疲れ、睡眠時間を削られていた私は、たぶんこの偽りの食欲に支配されていたのだと思う。私はその欲求から開放され、痩せた。

帰ると息子が喜んでくれる

埼玉の自宅に帰ると、息子が喜んでくれる。

私は中野区のシェアハウスに住んで以来、土日だけ埼玉に帰る生活をしている。埼玉に帰ると、息子が笑顔で迎えてくれる。息子は今、中学3年生だ。父親と笑顔で接する歳ではないように思う。しかし、息子はそのような反応で私を迎えてくれる。それが嬉しい。

埼玉の自宅に一緒に住んでいた頃も、仲は悪いわけではなかった。しかし、お互いに会うことを明確に喜ぶという場面はなかった。一緒に住んでいるのだから、それは当たり前だ。

現在は、一緒に過ごす時間は短くなったが、濃密になった。お互いを好ましい存在だと思っていることが明確になった。嬉しく感じる瞬間が増えた。

悪くなったこと

もちろん、悪くなったこともある。

寂しい

寂しい。通勤電車に乗って自宅に帰っていた頃は、帰れば家族がいた。今の私は、平日夜は妻と息子に会うことはできない。

土日に帰れば会えるので、耐えられないほどの寂しさではない。しかしやはり、寂しい。

離婚の可能性が発生した

離婚の可能性が発生した。私と妻は、離れて住んでも、不幸にならなかった。それなら、一緒に住む意味は薄い。一緒に住む意味が薄いなら、結婚を継続する意味も薄い。

私たちは、離婚の可能性について話した。2年後に離婚しようか、と、曖昧に期限を切って決めた。曖昧な期限なので、率直なところ、どうなるかわからない。今の雰囲気だと、おそらく、離婚しない可能性が高いと思う。ただ、ともかく2年後に離婚するという会話をした上で今の生活を送っている。

妻と私、息子と私の信頼関係は崩れていないと思う。わざわざ離婚する必要は薄いとも感じる。しかし一方で、婚姻関係を継続する意味も薄いと感じる。

生活コストが増えた

生活コストが増えた。シェアハウス代である月額4万7000円が、コスト純増として、我が家の家計にのしかかっている。貯金は減っている。

しかしそれでも、この生活を手放す気には、到底なれない。

最後に

私は、家族と一緒に住むことと、私自身の通勤電車の苦しみを天秤にかけ、家族と離れて住むことを選んだ。そしてそれが正解だったと感じている。

一般的に、家族と一緒に住むことの価値は最上級の価値であり、他の価値と比較することは、道徳として許されていないように思う。私は禁忌を犯しているのではないか、という気持ちになることもある。

しかし本当は、家族と離れて住むことは、そんなにひどいことではないはずだ。実際、会社からの業務命令で単身赴任しているサラリーマンはたくさんいる。私がやっていることも、それと同じようなものだ。

私は、家族と離れて住むことで、通勤電車に乗らずに済むようになった。その結果、幸せになったと感じている。妻も息子も、おそらく不幸にはなっていない。

この経験から、私は以下の2点を主張したい。

  • 通勤電車に乗らない生活は幸せだ
  • 家族とは必ずしも一緒に住む必要はない

以上だ。みんなの幸せを願っている。

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