1年半ぶりに通勤電車に乗った結果

1年半ぶりに、通勤電車に乗った。

なぜ乗ったか

通勤電車になんて、もう二度と乗りたくないと思っていた。

ここ数ヶ月、家族への寂しさが募っていた。毎週末、埼玉の自宅には帰っていたが、それだけでは足りないと感じる瞬間が何度かあった。

そんな中、会社で忙しい時期があり、土日連続の休日出勤があった。しかも、どちらも深夜までの勤務だ。その週は埼玉には帰れなかった。

その次の週もまだ忙しく、土曜日は休日出勤だった。日曜日は休めることになったので、私は土曜日、終電で埼玉の自宅へ帰った。

普段の私は、金曜日の夜は東京で寝て、土曜日の朝に埼玉へ行き、日曜日に埼玉の自宅で夕食を食べた後に、夜のうちに東京に戻る、という行動パターンだった。

日曜日の夜のうちに東京に戻るのは、もちろん、通勤電車の回避のためだ。日曜日の夜に夕食を食べた後の時間帯、20時とか21時とかの電車は、とてもすいている。必ず座れる。全く疲れない。電車に乗ったままパソコンで仕事をすることもできる。だから、必ず日曜日のうちに移動していた。

しかしこの日は、二週間ぶりの埼玉の自宅だった。息子と会うのも二週間ぶりだ。もう少しここに居たいと感じた。だから、この日曜日の夜は埼玉の自宅に泊まることに決めた。明日は、久しぶりの通勤電車だ。

1年半ぶりの通勤電車

翌朝。少し早めに、6時45分に起きた。着替えて、7時過ぎに家を出た。

獨協大学前駅に着く。ホームへの階段を登る。電車を待つ列に並ぶ。

乗りたくない、と思う。しかし、乗らなければならない。

既に満員になっている電車が、ホームに入ってくる。電車の扉が開く。私が並んだ列が、電車の中に突入していく。私は前の人を押して電車の中に入る。私の後ろの人も、私を強く押しながら電車に入る。

扉が閉まり、電車が動き出す。身動きが取れない。暑い。手を動かせないので、流れる汗を拭くこともできない。

2分ほどで草加駅に着く。急行停車駅なのでたくさんの人が降りた。しかし、次の谷塚駅で、またギュウギュウになった。前に立つ人の腕が私の腹と内臓を圧迫する。

私の心は、既に折れていた。寂しさを振り切って、昨日の夜のうちに自宅に帰ればよかった。昨日の、息子との時間は楽しかった。しかし、この通勤電車の苦しみを感じて、私の頭の中は後悔で埋め尽くされた。

駅で止まるたびに、乗客が増えていく。私は、吐き気を感じ、頭もクラクラとしてきた。吐き気を感じているところに、更に前の人から腹を圧迫される。もう限界だ。獨協大学前駅から6駅目、五反野駅に電車が止まると、私は考える間もなく、電車から降りた。勝手に体が動いた。降りた先に、ちょうどベンチがあった。そこへ、へたりこんで座った。

こんなの無理だよ、という気持ちが私の体の中を占拠していた。この満員電車に乗っているすべての人が、これに耐えているのか。私は敗北感を感じた。私は、この電車に乗っているすべての人よりも劣っている。この苦痛に耐えられないのだから。

私はこの電車に、16年間も乗っていたのか。今の私は、普通の人に戻ってしまっている。今の私には、これは無理だ。

五反野駅で椅子に座っていたが、このまま時間を過ごしてしまっては、会社に遅刻してしまう。この際、遅刻してもいいかな、という気持ちもあった。だが、ゆっくり乗れる時間帯になるまで、あと2時間くらいはかかるだろう。すぐに乗らなければならない。

10分ほど経った後、私は電車に再突入した。

吐き気は止まらない。懸命に耐えて、なんとか仲御徒町駅にたどり着いた。最難関の日比谷線をクリアした。

ここから先は、少しラクだ。乗り換え先の都営大江戸線は、比較的すいている。ギュウギュウではない。眠いまま立って耐えるのは辛いけれど、日比谷線よりはマシだ。

耐えて耐えて、都庁前駅までたどり着いた。

既に、気力と体力の限界に達していると感じた。這うように歩き、会社にたどり着く。会社の椅子に座って、私は、なにも考えられなかった。ただ座っているだけのマネキンのように、業務時間の最初の1時間を過ごした。

座って時間が経つと、少し気力と体力が回復した。そこから少しづつ、仕事に手をつけた。

こんなに衰弱した状態で仕事をしても、良い仕事ができるようには思えなかった。私には、通勤電車はもう無理なのだ、と悟った。

1年半ぶりに通勤電車に乗った感想

もう二度と乗りたくない。もう無理だ。あの通勤電車に毎日乗っていた時代の私は、今と違って、とてつもなくすごい人だったのだと思う。今は、もう普通の人に戻ってしまった。普通の人に戻った私は、あの地獄に耐えることができない。

もう二度と、通勤電車には乗らない。

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